★NAFTA締結に至るまで★
1984 年 9 月、ブライアン・マルルーニー進歩保守党政権が登場し、親米を基調とする開放経済路線を志向した。これは、ピエール・トルドー自由党政権の経済ナショナリズムからの大きな転換を意味した。 加米自由貿易協定は、カナダ人と米国人が過去一世紀以上にわたって、経済・貿易関係をよりよく、より安定した基盤で行おうとしてきた努力の帰結であった。
1854 年 最初の互恵協定 調印
1864 年 米国により互恵協定 破棄
1911 年 自由党政権 包括的協定に到達
1935 年 最恵国待遇協定 合意
1947 年 関税貿易一般協定(GATT)発足
48 年には交渉がまとまる直前にカナダがアメリカとの結び付きを強化することに対する警戒もあって,GATTでの多国間交渉を選択した。79 年まで 7 回のGATT交渉ラウンドで加米間の障壁は低下する
1965 年 加米自動車協定 締結
70 年代には,トルドー政権により対米依存度を引き下げる政策が採られた
1983 年 トルドー政権が双務協定を締結する努力開始
1985 年 マルルーニー首相・レーガン大統領 会談
マルルーニー政権は,基本的に内外政策で米加関係緊密化,エネルギー政策の見直し,投資の自由化を進めた。「貿易と投資の流れを安定し促進する上で、現存する障壁を減殺させるための受容可能な方法を見出すことを最優先課題とする」ことに合意する。
1989 年 加米自由貿易協定 締結
1990 年 マルルーニー首相 米国・メキシコが合意している自由貿易交渉に参加表明
1991 年 公式交渉開始
1992 年 妥結
1994 年 北米自由貿易協定(NAFTA)施行
★カナダにとってのNAFTA★ カナダから見れば、この加米自由貿易協定は大きなアメリカ市場へのアクセスを確保しておくという点で大きなメリットがある。カナダから本協定を提案したのは、 80 年代に入り、アメリカに保護貿易主義の動きが見られ、いくつかのカナダの重要輸出品に対して規制措置がとられたことの影響が大きい。また、アメリカ市場へのアクセスを包括的に確保しておくことは、日本やアジアNICS(新興工業国:台湾・韓国など 1970 年代に急速に工業化が進み発展を遂げた国家群。 88 年トロント・サミットの経済宣言からNIES:新興工業経済地域:に変更された)との競争の観点からもメリットがある。
北米自由貿易協定(NAFTA)により、面積 2000 万平方キロを超え、人口は 4 億人に近く、総生産 7 兆ドルを有する史上最大の自由貿易圏となった。NAFTAへのカナダの参加は防衛的なものであり、加米自由貿易協定の便益が米墨の双務協定の結果として減殺されないとの保障を得たかった。
そのうえ、カナダは対発展途上国対策で歴史的に有力な役割を演じてきた。世界経済に占める比較的小さな地位にかかわらず、貿易の改革への主な貢献国としての地位を維持するため、NAFTAに参加すべき立場にあった。
カナダのNAFTAへの参加は、選択の余地がないものである。 1989 年の加米自由貿易協定の発効は、カナダが事実上米国市場の一部であり、また、カナダにとっての米国市場が重要であることの追認に過ぎない。仮に、カナダがNAFTAに参加しなければ、加墨貿易は小さいとはいえ、メキシコへのアクセスが相対的に劣後するなどマイナスがある。カナダは、積極的メリットよりも現状の維持に政策目標を置いたと考えられる。
NAFTAが先進国と発展途上国の組み合わせという特異性を克服し、 21 世紀の米州自由貿易地域(FTAA)への架け橋となりうるかは、今後にかかっている。
| NAFTAの利点 |
| 1:協定が発展途上国と二つの先進国の間で関税なしの貿易を目指していること |
| 2:メキシコの自動車令を排除し、その国内市場が加米に開放されたこと |
| 3:サービスの貿易の自由化 |
| 4:紛争処理(紛争を政治的な局面に持ち込まない) |
| NAFTAの難点 |
1:原産地規定
この規定によって自由貿易地域内で主として生産された商品だけが優遇される |
2:雇用の喪失
雇用減が既に国際競争で弱体化している部分で起こりうるが、その回復が高付加価値部門で可能ということである。これは、経済全体としては良化である。しかし、社会全般にわたった勝者と敗者の出現が問題となっている。 |
3:第三国の加盟
NAFTAには他の国の加盟が可能であるが、そのためには一定の基準を満たし、協定の条件に同意することが必要。最終的には原加盟国による承認が必要。 |
Author--Hachiyama--
引用参考文献: 『NAFTAと日本企業への影響』ジェトロビジネス講座 福島栄一監修 経済産業省ホームページ
カナダを知るための60章 明石書店
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