1867 年 7 月 1 日、それまで個別の英領北アメリカ植民地( BNA) であったカナダ連合植民地(オンタリオ州、ケベック州)、ニューブランズウィック植民地、ノヴァスコシア植民地がコンフェデレーションによって統合された。実際はカナダに自治権はなく独立も認められていなかった。 1931 年に外交権を獲得、 1948 年にカナダ最高裁が最終審に、 1982 年にようやく憲法が完成する。
連邦結成は、イギリスの政策転換、強大な合衆国、さまざまな面での BNA の行き詰まりへの対応策として計画された。特に 1846 年の穀物法の廃止によるイギリスの自由貿易主義への転換は、帝国特権によって保護されていた小麦や木材などの主要製品をもつ BNA に大きな影響を与えた。 BNA は合衆国に市場を求めることとなる。 1860 年のカナダ最大級の大陸横断鉄道建設事業であるグランド・トランク鉄道( GTR) の破綻と翌年の南北戦争勃発は BNA に大打撃をあたえた。
当時の連合カナダ植民地はイギリス系の西カナダ、フランス系の東カナダ双方とも保守派と改革派に分かれていた。西のジョン・ A ・マクドナルドと東のジョルジュ・カルチエの提携によって誕生した保守党によってかろうじて運営されていたが、西カナダの改革派を大乗するジョージ・ブラウンによって保守党との「大連立」がなされた。ブラウンの政策は議員の人口比例代表制と西部への農地拡大であった。
写真はオタワの コンフェデレーション広場にある、戦没者記念碑。
個別の経済圏を形成していたニューブランズウィック、ノヴァスコシア、プリンス・エドワード島の 3 植民地は沿海同盟構想が持ち上がっていたが、 1868 年のシャーロットタウン会議は BNA 全体での連邦化に沿海植民地を引き込む絶好の機会として利用された。 72 カ条からなるケベック決議の中で当初マクドナルドは、中央集権的な統合を求めてきたが、フランス系カナダや沿海植民地の支持を得るために州の自治権に配慮した連邦制に譲歩した。財政、関税、鉄道、軍隊、通貨、銀行などの強大な権限は連邦に集められ、州政府には教育、民法、公有地管理など地方的な問題に関する権限が委任された。
その後ケベック決議はロンドン会議で 143 カ条からなる BNA 方としてまとめられ、 1867 年 3 月にイギリスの議会法として成立し、「ドミニオン・オブ・カナダ」という国号が与えられ 7 月 1 日にカナダの原型が誕生した。その後、 1870 年にハドソン湾会社が所有していた領土がカナダに売却され、 1871 年にブリティッシュ・コロンビア植民地が連邦に参加。そして連邦と表裏一体の政策として求められていた大陸横断鉄道は 1885 年に完成した。
連邦結成後、アメリカの脅威を防ぐため大陸横断国家の完成が急がれた。一方、対米友好もはかられ、1871年、南北戦争で悪化した英米関係改善のため初代首相のジョン・A・マクドナルドは英代表の1員としてワシントンでの会議に参加した。連邦国内は対英重視路線だったが徐々にカナダの自立性が対外面で高まった。第一次世界大戦以降はアメリカの大衆文化が浸透し始め経済面でも対加投資額、貿易額でそれぞれイギリスを抜た。

アメリカの大恐慌は小麦価格の暴落を呼びカナダに深刻な打撃を与えたが、それを救ったのは第二次世界大戦であった。イギリスが宣戦した1週間後、カナダは連邦議会の承認を得て参戦した。軍需品生産体制の下、カナダは急速に経済発展し、産業構造が大きく変化した。
写真はカナダの10ドル紙幣に印刷された初代首相ジョン・A・マクドナルド
第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国が戦災で疲弊する中で世界的な経済国となったカナダは、ミドルパワーを自任して国連創設に加わった。戦争はカナダの植民地意識をほぼ払拭し、人々に一体感=国民意識を醸成した。結果、イギリス離れが進み、アメリカとの関係が強まり、文化的、軍事的、経済的影響を強く受けるようになった。
1960年代までに、国連の食料農業機関、世界保健機構、人権委員会などで活躍。北大西洋条約機構(NATO)にも加わり、戦後のヨーロッパ復興や、南・東南アジアの経済開発にも参与してきたカナダは、先進国の1つとして経済開発協力機構(OECD)にも加盟した。
また、40年代から50年代にかけ、失業保険、家族手当、国民老齢年金、入院保険、そして60年代に健康保険制度と少しずつ社会保障制度が整備され福祉国家への布石が打たれた。
経済活性化に伴う労働者不足を補うため、ヨーロッパからの移民に再び門戸が開かれトロントなどでは多民族化が進む。ハンガリーなど世界各国からも多くの難民を受け入れ、政府は雇用、住宅、教育などの分野で人種(民族)、宗教、出身地などによる差別を禁止する法律を作った。
1965年にカナダは新国旗を定め、67年に国歌を承認、そして連邦結成100周年にモントリオール万国博覧会が開かれ、自らのアイデンティティーを確立し、自信に満ちた国家あるいは社会に変貌した。しかし、その後現在に至るまで先住民問題、ケベック問題、対米依存問題、人口問題と様々な問題点が存在している。 Author--Bluepepsi--
参照:カナダを知るための60章
明石書店 写真:カナダ大使館ホームページより