「カナダの歴史(前編)」

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前編:先住民〜開拓時代 
中編:アカディア人追放〜
アッパー・ローワーカナダ
 
後編:カナダ連邦設立

★ カナダの先住民族★ 

コロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ人が本格的に大陸の探検、入植を開始する以前から、カナダで先住民による伝統的生活がおこなわれていた。北米大陸の先住民族は、今から数千年前にアジアから、シベリアとアラスカの間の陸地を通ってやってきたと考えられている。その中の一部がカナダに定着し、別の人々はさらに南へ行くことを選んだ。カナダにはさまざまな先住民族がいた。土地の環境に応じて、移動生活やあるいは定住生活を営む狩人や猟師、農耕民であった。

先住民とヨーロッパ人との最初の接触は今から約1000年前頃と推測される。アイスランド人がニューファンドランド島に短期間住み着いたときからで、本格的なヨーロッパ人の探検には600年ほど待たなければならなかった。

「イヌイット」はエスキモーともよばれ、北極沿岸のツンドラ地帯で生活し、狩猟を伝統的正業としてきた。 「インディアン」は森林限界以南を生活領域とするグループの総称。
「メーティス」はカナダ先住民とヨーロッパ人との混血の人々のことをさす。

★探検、交易、そして入植★ 

「ヌーベルフランス」
イタリアの探検家ヴァラツァーノがフランス国王の命により、フロリダからニューファーランド沖まで北米の東海岸沿いを航海し、彼の見た新大陸を≪ノヴァ・ガリア≫(新フランス)と名づけました。その後ジャック・カルチエがセントローレンス川を遡って現在のモントリオールにまで至る。ガスペ半島先端に上陸し、カナダ王国万歳と掘り込んだ十字架を架け、この地をフランス領と宣言したのが始まり。ヌーベルフランス時代とは1534 年〜 1760 年までの期間をさし、実際の稼働期間は1608 年〜サムエル・ド・シャンプレーがケベック創設以来 150 年間を表す。

当時のカナダの範囲は東海岸沿いの現ケベック州、オンタリオ州を中心とした領土であった。

「カナダ」という名のの由来はイロコイ語カナタ kanata 「小屋の集落」に由来。「村落」の意。 1534 年フランスのジャック・カルチエがセントローレンス川を発見後、現在のモントリオール付近に到着し現地イロコイ族に「ここはどこか?」と尋ねると「カナタ」と答えたことにちなむ。

ヌーベルフランス史においてはアメリカのような先住民虐待のパターンをとらず、基本的に平和共存に近い方法で自らの文化を伝えようと試みた。イエズス会士とヒューロン人との接触は異なる文明の出会いの始まりであった。フランス人宣教師による布教活動は「ルラシオン」と題された膨大な布教記録に残されている。先住民はカウンターパートナーとしての関係で、先住民からはビーバーなどの毛皮動物、フランス人からはナイフ、釜、くし、毛布、鏡などを持ち込んだ。 しかし、西欧文明のアルコール類の到来により、酒に溺れてた先住民族社会は破壊的かく乱要因を残してしまう。

写真:Copy right of Heritage Community Fundation

カナダはヨーロッパ人が進出してくる前から多民族社会が存在していた。西ヨーロッパ人がカナダに到来した頃は12種類の言語があったといわれている。ヌーベルフランス時代にフランス人はベオサック、アルゴンキン、イロクォイなどの東部先住民と接していた。


★ イギリスの進出 

イギリスもビーバーの毛皮に目をつけていた。ビーバーの毛皮は柔らかい宝石∞地位の象徴≠ニしてヨーロッパの王侯貴族に尊重されていた。 

16、17世紀のイギリスは未開拓の土地を探検するため、多くの探検家が当時のカナダを訪れました。ヘンリー・ハドソンとその一行はオンタリオ州の北方に位置し、 内陸へとの航路となる川が多く繋がっている 大きな湾を発見した。 そこはハドソン・ベイと名づけられた。

1627年にフランスがヌーベルフランス会社を設立したのに対し、1670年になるとイギリスはハドソン・ベイ・カンパニー(写真下)という交易会社を設立し、このルートの利権を宣言、本格的な開拓に乗り出した。

また、当時とビジネスモデルは大きく変化したが、この会社は現在でもカナダに存在し、The Bayという大手デパートで知られている。

やがてイギリス、オランダとフランスの毛皮獲得競争は先住民同士の対立を激化させた。さらに北アメリカでの英仏対立は、ヨーロッパでの対立とあいまって激化し、ついに英仏戦争が勃発してしまう。 Author--Bluepepsi--

イギリスの進出
当時のHudson's Bay Compay。
現在のデパート[The Bay]。

 

    イギリスとフランスの戦争(年表)

アウグスブルグ同盟戦争
領土失わず
スペイン継承戦争 
北アメリカでは大きな損失なかったが、本国の戦況反映される
1713年  ユトレヒト条約 ニューファンドランド・ハドソン湾・アカディアがイギリスの領有となる。
オーストリア継承戦争
ルイブールの要塞を破壊される
フレンチ・インディアン戦争
1754〜1763 7年戦争 フランスの最終的敗北 ヌーベル・フランスの消滅

1758年 ケベック陥落
1759年 モントリオール陥落  
1763年 パリ条約(イギリス領となる)

参照: カナダファクト、カナダを知るための60章明石書店  

関連資料
カナダの歴史(中編)
カナダの歴史(後編)

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